「心頭滅却」とは、「気を散らすような考えを消し去ること。または、集中してことにあたれば、苦しさを感じないということ。」という意味があります。
しかし、心頭滅却の意味がわかったところで、その正しい使い方やシチュエーションを理解しておかないと、間違った解釈をしたまま恥ずかしい思いをするかもしれません。
そうならないように、この記事で心頭滅却の意味に加えて、正しい使い方を例文も交えてわかりやすく解説しておりますので、最後まで読んでこれから活用できるようにしてくださいね!

夏の炎天下でも心頭滅却すれば涼しいかな?

日傘とアイスの方が効果あるわよ!
「心頭滅却」の意味とは?わかりやすく解説
「心頭滅却」とは、「しんとうめっきゃく」と読み、気を散らすような考えを消し去ること。
または、集中してことにあたれば、苦しさを感じないということ。という意味があります。
心頭滅却の意味を辞書で調べると、このように解説されております。
【心頭滅却の意味】
四字熟語辞典より引用
- 気を散らすような考えを消し去ること。または、集中してことにあたれば、苦しさを感じないということ。
「心頭」は心の中。胸の内。
「滅却」は何も残らないように全て無くすこと。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」を略した言葉で、禅僧の快川が織田信長に寺を焼き討ちにされた際、燃え上がる山門でこの句を唱えたという故事から。- 出典 杜荀鶴「夏日題悟空上人院」
心頭滅却の意味
心頭滅却(しんとうめっきゃく)とは、心の乱れや迷いを消し去り、どんな困難や苦しみの中でも動じない心の状態を保つことを表す四字熟語です。
外の状況がどんなに厳しくても、心を整えれば冷静に受け止められる、という強い精神力を示しています。
心頭滅却の意味の概要
この言葉は、禅の教えに由来しており、精神を鍛えることの大切さを表現しています。
たとえば、強いストレスやプレッシャーにさらされても、気持ちを乱さず冷静に対応できることを「心頭滅却」と言います。
現代では、ビジネスやスポーツの場面でも「動じない心」をたとえるときによく使われます。
心頭滅却をわかりやすく解説
簡単に言えば、「心を落ち着ければ、どんな苦しみも小さく感じることができる」という意味です。
実際に苦しい状況が消えるわけではありませんが、受け止め方を変えることで気持ちが軽くなり、前向きに進めるようになります。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」との関係
「心頭滅却」という四字熟語は、有名な言葉 「心頭滅却すれば火もまた涼し」 から生まれました。
これは「心を無の境地にすれば、たとえ火の中にいても涼しいと感じられる」という禅語です。
つまり、外の環境に左右されず、心の持ち方で苦痛を乗り越えることができる、という深い教えを示しています。

「心頭滅却」ってどんなことを意味するの?もう少し詳しく教えて!

「心頭滅却」とは、心の迷いや動揺を消して、どんな苦しみや困難にも動じない心の状態を表す言葉です。もともとは「心頭滅却すれば火もまた涼し」という禅語から生まれました。これは、心を落ち着け無の境地に至れば、たとえ火に包まれても涼しいと感じられる、という意味です。つまり、外の状況ではなく心の持ち方によって苦しみを軽くできる、という考え方を表しています。
「心頭滅却」の語源や由来
心頭滅却の語源や由来は以下のとおりです。
【心頭滅却の語源や由来】
Oggiより引用
- 「心頭滅却すれば火もまた涼し」の語源にはさまざまな説があり、1582年織田信長の勢力によって、甲斐(山梨県)恵林寺(えりんじ)の僧たちが、山門に追い上げられ火をかけられた時、この寺の快川禅師が法衣を着て、扇子を持って端座し、この言葉を発し焼死したといわれています。
- また、中国・唐の時代に活躍した詩人、杜荀鶴(とじゅんかく)の漢詩『夏日題悟空上人院詩』に書かれている、「安禅必ずしも山水を須いず、心中を滅し得れば自ら涼し」という一文がもとになったという説も。「心を静かに座禅をするのに、山や川は必要ではない、心をひとつに集中させれば、たとえ火の中であっても涼しく感じる」という意味です。
「心頭滅却」の語源や由来
禅語としての出典
心頭滅却(しんとうめっきゃく)は、禅宗で説かれる言葉から生まれました。もともとの出典は中国の禅僧が残した教えの中にあり、「心を無にすれば、外の状況にとらわれない」という考えがもとになっています。
ここでいう「心頭」とは心のはたらき、「滅却」とはそれを消し去ることを意味しています。
つまり、「心の迷いや乱れを消すことで、平常心を保てる」ということを表しているのです。
「火もまた涼し」の故事と背景
この四字熟語が特に有名になったのは、「心頭滅却すれば火もまた涼し」 という言葉とともに語られるからです。
これは、どんなに大きな炎に囲まれても、心を無の境地にすればそれすら苦しみではなく涼しさに感じられる、という禅の教えです。
外の環境は変えられなくても、心の持ち方によって苦痛の感じ方は変わる、という深い意味が込められています。
歴史的なエピソード(高僧・中国の典故など)
この言葉を広めたのは、中国や日本の禅僧たちです。特に日本では、戦国時代の高僧・快川紹喜(かいせんじょうき)が有名です。彼は織田信長の軍勢に寺を攻められ、炎に包まれる中でも動じずに「心頭滅却すれば火もまた涼し」と唱えたと伝えられています。この話は、精神を極限まで鍛えた禅僧の姿を示すものとして広まり、後世にまで語り継がれました。
「心頭滅却」の使い方を例文でわかりやすく解説
それでは、「心頭滅却」の正しい使い方を具体的にイメージできるようわかりやすい例文をご紹介します。

心頭滅却ってどういう場面で使ったりするの?

「心頭滅却」は、強いプレッシャーや苦しい状況の中でも心を落ち着けて冷静に行動する場面で使われます。たとえば、試験や大事なプレゼンの直前に緊張していても、気持ちを整えて平常心で挑むときや、仕事で失敗しても動じずに次の行動へ移るときなどです。つまり「心の持ち方次第で困難を乗り越えられる」という意味を表すときに使う言葉です。

「心頭滅却」は、次のような場面でよく使われます。
- 大事な試験やプレゼンの前に緊張を抑えるとき
- 仕事や部活動で大きなプレッシャーを受けたとき
- 失敗やトラブルに直面しても冷静さを保つとき
- 苦しい練習や努力を続けるときの精神状態を表すとき
- 歴史や文学の中で強い心を示す場面を語るとき
- 本当に「心を落ち着ける」場面に使うのが自然で、軽い状況には使いにくい。
- 人を励ますときに使うときは、上から目線にならないように注意する。
- 「我慢する」という意味だけではなく、心の持ち方を変えて困難を軽くする というニュアンスを大切にする。
心頭滅却の例文①(ビジネス編)
大事なプレゼンを前に緊張する社員に対して、自分を落ち着けることの大切さを伝える場面です。

プレゼン直前で緊張が止まらないよ…

そんな時こそ心頭滅却よ。心を落ち着ければ、外の不安も小さく感じられるわ。

そうね。ここでの『心頭滅却』は、気持ちを無にして集中することで、本来の力を発揮できるという意味になるの。
この場面では「心頭滅却」を「動じない心」を強調する意味で使っています。仕事やビジネスシーンでは、大事な場面で心を落ち着ける姿勢を示す言葉としてピッタリです。
心頭滅却の例文②(日常生活編)
受験勉強でストレスがたまり、気持ちが焦る友人に対して声をかける場面です。

テスト勉強がつらくて、もう投げ出したい…

そんなときは心頭滅却ね。心を整えて取り組めば、苦しさも和らぐわよ。

この場合の『心頭滅却』は、勉強という苦しみが消えるわけじゃないけど、心の持ち方で前向きに頑張れる、というニュアンスになるの。
この例では、日常的な学習場面に「心頭滅却」を当てはめています。苦しい状況をそのまま受け入れつつ、心を静めることで前に進む力を得る、という意味になります。
心頭滅却の例文③(歴史や文学編)
戦国時代、炎に包まれながらも動じなかった禅僧・快川紹喜の故事を紹介する場面です。

歴史の本に『心頭滅却すれば火もまた涼し』ってあったけど、どういうこと?

快川紹喜という僧が、炎の中でも心頭滅却して動じなかったのよ。

ここでは、命の危険さえも心の持ち方次第で超えられる、という強い精神力を示しているの。文学や歴史の中でも象徴的に使われている表現よ。
この例文では「心頭滅却」が故事や文学的背景をもとに使われています。極限の状況でさえ心を乱さない姿勢を表すもので、歴史的な重みのある使い方です。
「心頭滅却」の言い換え表現を例文を使ってわかりやすく解説
「心頭滅却」は仏教や禅の精神を含む深い言葉ですが、日常会話では「気持ちを落ち着ける」や「冷静になる」と言い換えると、より身近に使うことができます。
【心頭滅却の言い換え表現】
・言い換え表現① :「気持ちを落ち着ける」
・言い換え表現② :「冷静になる」
「気持ちを落ち着ける」の例文
「気持ちを落ち着ける」は、緊張したり焦ったりしているときに、自分の心を静めて安定させることを意味します。「心頭滅却」の持つ「心を整えて苦しみを軽くする」という意味を、日常的な言葉でわかりやすく表したものです。

明日の面接、緊張で頭が真っ白になりそう…

そんな時は気持ちを落ち着けるのが大事よ。落ち着けば、普段通り話せるから。

ここでの『気持ちを落ち着ける』は、心頭滅却と同じように心を静めることを表しているわ。ただ、心頭滅却が“無の境地”に近い深い意味があるのに対して、『気持ちを落ち着ける』はもっと日常的で身近な表現なの。
「冷静になる」の例文
「冷静になる」は、感情に流されず、落ち着いた気持ちで物事を判断することを意味します。「心頭滅却」が心の迷いを消す境地を示すのに比べると、より現実的でシンプルに「落ち着いて考える」という場面で使われます。

友達とケンカして、つい言いすぎちゃった…

一度冷静になるといいわよ。落ち着いて考えれば、どう伝えるべきか見えてくるから。

『冷静になる』は、心頭滅却よりもやさしくて日常的な表現ね。心頭滅却は“強い精神で苦しみを超える”イメージがあるけど、『冷静になる』は“感情を抑えて落ち着く”というニュアンスに近いの。
「心頭滅却」の類義語
「心頭滅却」と似た意味を持つ 言葉として、以下の2つの言葉を紹介します。
【心頭滅却の類義語】
スッキリより引用
- 明鏡止水(めいきょうしすい):邪念のない、落ち着いた静かな心境。
- 無念無想(むねんむそう):何も思わず何も考えない無心の状態のこと。
「明鏡止水」の例文
「明鏡止水」とは、曇りのない鏡や静かな水面のように、心が落ち着いて澄みきっている状態を表す四字熟語です。
心頭滅却が「苦しみや困難を心で乗り越える」ニュアンスを持つのに対して、明鏡止水は「心の静けさや澄んだ落ち着き」を強調する言葉です。

試験直前なのに、みんな緊張してガチガチだね。

私は明鏡止水の気持ちで挑むわ。心を澄ませば力を出せるから。

ここでの『明鏡止水』は、心を乱さず静かに落ち着いた状態を表しているの。心頭滅却が“苦しみを超える強さ”なら、明鏡止水は“心の透明な落ち着き”を強調しているのよ。
「無念無想」の例文
「無念無想」とは、心の中に余計な思いや考えがまったくなく、無の境地に達した状態を意味します。心頭滅却と同じく「心を空にする」という点では似ていますが、無念無想は特に「雑念をなくす」ことに重点が置かれています。

大事な試合前になると、頭の中がごちゃごちゃして集中できないんだ。

そんなときは無念無想ね。余計なことを考えずに心を空っぽにすれば集中できるわ。

ここでの『無念無想』は、心頭滅却と似ているけれど、“苦しみを和らげる”よりも“雑念を取り払って無心になる”ことに重点があるの。スポーツや修行などでよく使われる表現よ。
まとめると、
- 心頭滅却 … 苦しみや困難を心の持ち方で乗り越えること。
- 明鏡止水 … 心が澄みきって静かな落ち着きを保つこと。
- 無念無想 … 心を無にして余計な考えをなくすこと。
という違いがあります。
「心頭滅却」の対義語
「心頭滅却」と反対の意味を持つ言葉として以下の2つの言葉を紹介します。
【心頭滅却の対義語】
スッキリより引用
- 疑心暗鬼(ぎしんあんき):疑う心を持ってしまい、取るに足らないことを恐れたり、怪しく感じたりしてしまうこと。
- 意馬心猿(いばしんえん):煩悩や情欲などの欲望に、心を乱されて落ち着かないこと。
「疑心暗鬼」の例文
「疑心暗鬼」とは、疑いの心が強すぎて、何でもないことまで不安に感じてしまう状態を表す言葉です。心頭滅却が「心を整えて不安を小さくする」のに対して、疑心暗鬼は「心を乱して不安を大きくする」ことを意味します。

最近、友達がLINEを既読スルーしてて、嫌われたんじゃないかって不安で…

それは疑心暗鬼になってるだけかも。考えすぎて心が乱れてるのよ。

ここでの『疑心暗鬼』は、心が落ち着かず不安に支配されてしまう様子を表しているの。心頭滅却が“心を静めて苦しみを和らげる”のに対して、疑心暗鬼は“心が不安に引きずられて乱れる”という反対の意味になるわ。
この場面では、LINEの既読スルーという小さな出来事を「嫌われた」と大きく考えてしまっています。つまり、根拠のない疑いによって心が乱れてしまう状態が「疑心暗鬼」です。心頭滅却のように「気持ちを整える」ことができれば、余計な不安に振り回されずにすみます。
「意馬心猿」の例文
「意馬心猿」とは、心が猿や馬のように落ち着きなく動き回り、欲望や雑念に振り回されてしまう状態を表す言葉です。心頭滅却が「心を無にして落ち着く」ことを示すのに対して、意馬心猿は「心があちこちに揺れてコントロールできない」ことを意味します。

明日のテスト勉強をしなきゃいけないのに、ゲームや動画が気になって集中できないよ。

それは意馬心猿の状態ね。心があちこちに飛んで落ち着かないのよ。

ここでの『意馬心猿』は、心が乱れて集中できないことを表しているの。心頭滅却が“雑念を消して落ち着く”のに対して、意馬心猿は“雑念に振り回されて落ち着けない”という反対の状態になるの。
この例では、やるべきこと(勉強)があるのに気持ちが散ってしまい、集中できない様子を描いています。意馬心猿は、雑念や欲望に心が引きずられてしまう状態を強く表す言葉です。心頭滅却が「心を整えて一本に集中する」ことを表すのに対し、その正反対に位置づけられます。
「心頭滅却」の英語表現
「心頭滅却」の英語表現として、以下のを2つ紹介します。
【心頭滅却の英語】
英語表現①:mind over matter
英語表現②:inner calm
「mind over matter」の例文
「mind over matter」は、直訳すると「心は物質に勝る」という意味です。つまり、心の強さで体の苦痛や外の困難を乗り越えることを表します。心頭滅却の「心の持ち方によって苦しみを軽くする」という考え方にとても近い表現です。

「心頭滅却」を英語で表現した例文を教えて!

"He kept running in the marathon, relying on mind over matter."のように表現することができます。
日本語訳:彼は「心頭滅却」のように心の力で、マラソンを走り続けた。

この例文では、体力的にきついマラソンを心の力で乗り越える場面を表しています。心頭滅却が「外の苦痛を心で超える」という意味を持つように、「mind over matter」も精神力を強調する表現として使われます。
「inner calm」の例文
「inner calm」とは「内面の静けさ」という意味です。つまり、どんな状況でも心を乱さず落ち着いていることを表します。心頭滅却のように「無の境地」というほど強い意味ではありませんが、日常的に「心の平静さ」を表すのにぴったりです。

「心頭滅却」を英語で表現した例文をもう1つ教えて!

”She faced the difficult situation with inner calm, just like practicing shinto-mekkyaku.”のように表現することができます。
日本語訳:彼女は心頭滅却を実践するように、心の落ち着きをもって困難に向き合った。

この例文では、プレッシャーのある場面でも動じずに落ち着きを保つ様子を描いています。心頭滅却が「苦痛を無にする強さ」を強調するのに対し、「inner calm」は「穏やかで落ち着いた心」を表すので、日常会話でも使いやすい表現です。
- mind over matter … 苦痛や困難を心の力で乗り越える(強い精神力を強調)
- inner calm … 内面的な落ち着きや冷静さを示す(やさしい表現で日常向き)
となり、どちらも心頭滅却のニュアンスを英語で表すのに適しています。
「火もまた涼し」の教えを現代に活かす方法
「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉は、炎に包まれても心を無にすれば苦しみを涼しさと感じられる、という禅の教えです。現代社会に置き換えると、これは外の環境を変えるのではなく、自分の心の持ち方を変えることで困難を乗り越える という考え方になります。
たとえば、
- 仕事で強いプレッシャーを受けたときに、焦らず深呼吸して取り組む
- 勉強や試験で不安を感じても、「今できることに集中する」と気持ちを切り替える
- 人間関係でストレスを抱えても、相手ではなく自分の心を整えることに意識を向ける
といった形で活かせます。
つまり「火もまた涼し」の教えは、ストレスの多い現代においても、自分の心を守り前向きに生きるヒントになるのです。
まとめ
心頭滅却(しんとうめっきゃく)とは、心を落ち着けて動揺を消し去り、どんな苦難や困難にも動じない心の状態を保つことを意味する四字熟語です。その背景には、禅語「心頭滅却すれば火もまた涼し」があり、外の環境がどれほど厳しくても、心を整えることで苦しみを軽くできる、という深い教えが込められています。
この記事では、心頭滅却の意味・語源・由来・使い方・言い換え表現・類義語・対義語・英語表現まで幅広く紹介しました。例文や会話形式を通して見てきたように、この言葉はビジネスや勉強、スポーツなど、日常のさまざまな場面で活かすことができます。
現代社会ではストレスやプレッシャーにさらされる場面が多くあります。そんな時こそ、心頭滅却の考え方を思い出すことで、冷静さを取り戻し、自分の力を最大限に発揮できるはずです。
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